前橋市議会 2018-06-20 平成30年第2回定例会(第2日目) 本文 開催日: 2018-06-20
明治23年、1890年には、初代市長となる下村善太郎氏が会長となり、救済活動は続きました。昭和に入り、宗甫分町、現南町に県内唯一の精神病院厩橋病院を開設、その後江木町に分院開設、本院移転となりました。公益社団法人前橋積善会は、ことしで創立138年、厩橋病院が江木町に移ってから84年たちました。そして、厩橋病院と前橋東看護学校を運営しています。
明治23年、1890年には、初代市長となる下村善太郎氏が会長となり、救済活動は続きました。昭和に入り、宗甫分町、現南町に県内唯一の精神病院厩橋病院を開設、その後江木町に分院開設、本院移転となりました。公益社団法人前橋積善会は、ことしで創立138年、厩橋病院が江木町に移ってから84年たちました。そして、厩橋病院と前橋東看護学校を運営しています。
少なくとも下村善太郎初代市長は八王子で名をなした、財をなしたわけでございます。八王子、その先にある乾繭取引の関係の横浜、これらの商工団体というのは当然前橋市との歴史的なつながりがあるわけですし、また現在進めておりますいろいろな連携にもやはり我々は南太平洋に向かって進みたいなと思っておりますので、いいご指摘をいただいたと考えております。
特に県内外の方には、群馬県を代表する文化財でもあり、前橋市の文化に触れて楽しんでいただける場として来訪いただき、地域の観光振興にも貢献できる施設として、観光面でのPRや観光ルートへの臨江閣の取り込みなどで関係する団体等との協力連携を図るとともに、初代県令、楫取素彦や初代市長、下村善太郎の存在やすぐれた建築物としての臨江閣のよさもわかっていただけるような工夫をするなど、今後も利活用の促進をしてまいりたいと
この間、初代市長、下村善太郎氏から現在の山本龍市長の18代にわたり市政運営されております。市制施行以来、第2次世界大戦で昭和20年8月には戦災により中心市街地の8割を焼失するなど多くの命が犠牲になりながらも復興を遂げ、また昭和29年以来、近接市町村との合併で市域を拡大し、現在では34万の人口を誇る都市として発展しております。
本市の幹線交通軸でありますJR両毛線は、明治初期の日本鉄道による計画では上野高崎間であったものを初代県令である楫取素彦氏と初代市長の下村善太郎氏が当時の鉄道局長に要望した結果、明治17年に高崎石倉間まで開通された経緯があり、さらに架橋が難しいとされていた利根川橋梁が完成し、明治22年には現在の前橋駅まで乗り入れ、両毛線のルートが確立されてきたという経過があるそうです。
また、本市のブランド力を高める取り組みとして、歴史的人物を通じた取り組みが重要であることから、秋元公の歴史的功績や、初代前橋市長下村善太郎氏などを積極的に取り上げ、歴史、文化のまちづくりが一層促進されますよう要望しておきます。 商工業振興では、中小企業振興基本条例に基づく本市産業振興の指針となる産業振興ビジョンが策定されています。
また、この項目の最後に、前橋のブランド力を上げるための取り組みとして、前橋発展の礎を築いた初代市長であり、名誉市民を受けている下村善太郎氏の功績を積極的に取り上げる取り組みも推進すべきと考えております。下村善太郎氏を取り上げることについて検討してきた経過はあるのか、今後の見通しも含めお聞きいたします。
具体的に申し上げれば、初代前橋市長の下村善太郎氏、第13代市長の石井繁丸氏、第14代市長の藤井精一氏の3名であります。市民敬愛の対象として顕彰しているものの、市民の認知度はいかばかりと認識されているのか、まずお伺いいたします。
そこで、生糸商人として大成功をおさめ、私財をなげうって前橋のまちづくりに貢献した初代前橋市長の下村善太郎や、多感な少年時代を前橋で過ごし、桃井小学校を卒業後、旧前橋中学校で学び、太平洋戦争終結時に内閣総理大臣を務め、命がけで戦争を終結に導き、国家、国民を救った鈴木貫太郎についても顕彰すべきと考えますが、ご所見をお伺いいたします。
132 【文化スポーツ観光部長(靜知明)】 楫取県令の提言により、下村善太郎ら地元有志の協力で明治17年に建てられた臨江閣は、当時の雰囲気をそのまま今に引き継ぎ、大河ドラマ館から近い場所に位置していることから、前橋公園周辺の回遊コースも含め、欠かすことのできない観光資源だと考えております。
平成27年のNHK大河ドラマで花燃ゆに放送が決定し、本市でも揖取素彦初代県令、下村善太郎初代市長ら近代の功労者や古墳、臨江閣などの歴史遺産活用について活発な協議が行われていると聞いております。
具体的には、朔太郎や俳句などの文学的遺産、文学館から比刀根橋までの戦争平和遺産、比刀根橋周辺のシルクれんが遺産、臨江閣、県庁付近の前橋藩、初代県令、楫取素彦、下村善太郎ら近代前橋建設功労者遺産など、これらを活用しながらそれぞれをゾーン化し、歴史文化建造物の移築やモニュメントの設置等、さまざまな仕掛けをして、歴史的に魅力ある空間をつくり、交流人口をふやしてにぎわいを創出していくという提案でございます。
プロジェクトにおきましては、例えばれんがシルク遺産、戦争平和遺産、楫取素彦県令と下村善太郎ら近代前橋功労者、こういった10のプロジェクトにおいて、それぞれ前橋の歴史遺産について活発な協議が行われているところでございます。
6番目として、楫取素彦県令と下村善太郎ら近代前橋建設功労者。県庁設置に貢献した楫取県令や下村善太郎らの調査活用、米国新井家からの資料寄託の調査活用、萩市などとの交流、楫取素彦顕彰会、同賛助会との連携。7番目として、台湾で敬愛されている上州人。羽鳥氏など台湾で敬愛されている上州人、再賜など群馬県に貢献した台湾人の調査活用、台湾との交流、台湾人観光客の誘客。8番目として、文化人バンク。
具体的には9月18日に下村善太郎初代前橋市長の子孫を初めとした近代前橋建設功労者25人の子孫をご招待いたしまして、臨江閣で楫取県令と近代前橋建設功労者をしのぶ会を開催いたします。また、前橋市、それから前橋市教育委員会の後援で、楫取家5代目当主の楫取能彦氏、楫取素彦のひ孫に当たります小田村四郎氏によりまして、前橋テルサで記念講演会を実施いたします。
また、山口県萩市とは群馬県の初代県知事である楫取素彦県令と初代本市市長、下村善太郎翁との関係などからふさわしいのではないかと思いますが、国内における友好都市についての取り組みをお伺いいたします。 コミュニティバスについてですが、高齢化社会、環境問題、交通事故対策などメリットも多い中、利用者からはバス料金について190円の均一料金は不便である。
それから、皆さんご存じのとおり、初代の市長は下村善太郎さんで、この前橋の礎をつくったと言っても過言でない人ですから、そういう人たちの精神が生きれるような博物館というか、蚕糸記念館というか、充実については一層の研さんをしていただくと同時に、ご努力を望むものでございます。
次に、やはり関連した蚕糸業でございますが、その施設大分少なくなってきたわけですが、養蚕製糸が本市の発展に大きな役割を果たしたことは先ほど申したとおりでありますが、前橋市の初代の市長さんでもある下村善太郎は多くの蚕糸関係の皆様の努力によって、下村初代市長を先頭として県庁の誘致や市制施行を見たことはご存じのことでございます。
そしてこの歴史を振り返ったとき、本市が県下第1の都市として今日発展をすることができた最大の要因として、初代市長の下村善太郎氏を中心とした当時の人々が私財を出し合ってなし遂げた県庁誘致、あるいは医学校、師範学校などの本市への誘致が挙げられると思うのであります。もし本市にこれらの機関がなかったら、確かに現在ほどの発展はなかったろうと言われており、改めて当時の人々の先見性がうかがえるのであります。
そこで、今私がお聞きした展示物は、今後もっともっとひとつ収集していただきたいことは、まずもってお願いすることでございますけれども、私の一番お願いするのは、ちょうど来年が明治 100年記念というふうなときに至りまして、初代の市長さんもこの蚕糸のことでもって礎をなし、そして名誉市民となられた下村善太郎さん、こういう方があればこそ、県庁も前橋に持ってこられたというふうなことでございます。